先代の喜久雄がミキモト コスメティックスを知るまで
時は1972(昭和47)年。
林喜久雄が京都府綾部市に住んでいたころミキモトの化粧品の仕事をしていただける方を探しておられた恩人が、訪問のたびに試供品などを置いてくださり、喜久雄は「ミキモト コスメティックスはいい商品だな。なにか違うな」と感じていました。
しかし、ミキモト コスメティックス販売の仕事を引き受ける気はありませんでした。
そうした日々が続いたのです。
先代喜久雄の生い立ち
喜久雄は、1957(昭和32)年に早稲田大学に在学中、体調を崩してしまい、中退したのち、建設省(現在の国土交通省)に勤めました。
しかし、子どもを全員大学まで通わせたいという思いで、30 歳で建設省を退職し、某化粧品会社に転職しました。
喜久雄は、もともと寡黙な人だったのですが、持ち前のバイタリティと努力を重ね、その当時に記録を残すほど売り上げを伸ばすまでになりました。
しかし、喜久雄は将来に関してとても敏感であり、先行きを考えると、某化粧品の所長を続けていても厳しいと考え退職しました。
そしてその後はいろいろな職種を経験していました。。
先代喜久雄の転機
1973(昭和48)年。
恩人よりメーカーである御木本製薬(株)・販売代理店である大木産業(株)を紹介して頂き 真珠にまつわる話や、御木本製薬(株)がなぜ化粧品を作ったか、仕事の魅力など様々な話を聞き、この仕事で間違
いないと決断しました。
1973 年2月3日
ミキモト コスメティックス都営業所を開設。
それから半年で、沢山の人達に助けて頂き、売上第一位を受賞し その後も、様々な受賞を何度もいただくようになったのです。
現在のミキモト コスメティックス都営業所
上記のような経緯を経て、ミキモト コスメティックス都営業所が発足し、今に至ります。
現在は、喜久雄の息子である義治が後を継いでおります。
今ではパールフェイシャルエステティック『MIYAKO』も合わせて開業しております。
沢山の人達のおかげで、続けていくことができております。本当にありがとうございます。
日々感謝しながら、ミキモト コスメティックスを広めていけるように努力を続けていく所存です。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。